10月3日(水)朝礼 佐久間校長のお話


10月3日(水)朝の高校生朝礼で、佐久間校長先生は、修学旅行が約2週間後にあることを踏まえ、以下のようなお話をされましたのでご紹介します。

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今日は、修学旅行の前ですから、広島の話をしたいと思います。私も、自分の子供たちが小学生の時に家族で行きました。それまで騒いでいた子供たちが、あの場所にいったら急に大人しくなったのを覚えています。そういう場所なのですね。

ところで、高1、高2のみなさんの中に、これまで広島の平和記念資料館に個人的に行ったことがある人はいますか?手を挙げてくれますか?—ぱらぱらいる、という感じですね。何度行ってもいいところだと思います。初めての人も、そうでない人も、今度の修学旅行では、ぜひ良く見てきてください。

さて、今日みなさんにご紹介したいのは、長岡省吾さんという人です。知っている人はいますか?この方は、初代の平和記念資料館の館長です。この方はもともと広島文理科大学、今の広島大学で、地質学の専門家として教鞭をとられていた方ですが、たまたま軍の要請で山口県に行っていたときに、広島に原爆が落ちたのです。

その朝、山口にいながらもすごい爆発音が聞こえたため、長岡さんは慌てて広島に戻りました。大学が大丈夫か家族が大丈夫か、気になったのです。そして広島に戻ります。残骸になった大学、煙が立ち上る一面の焼野原を目の当たりにしました。悲惨な状況です。なすすべもなく、目の前で、何人もの人が息絶えていく。長岡さんは一日中歩きまわり、疲れ果て、そしてある神社の跡地にあった石灯籠に座り込みます。

そうしたら、ちくり、という痛みを感じました。石灯籠の表面が溶けて、トゲ状になっていた。ついた手のひらにそれが刺さったのです。600℃以上の熱を加えなければ、石灯篭はこのような状態にはならない。広島の街に、一瞬にして、とんでもないことが起こったんだ。それが専門家の長岡さんには分ったのです。もしかしたら-――「原子爆弾」という言葉は噂でしか聞いたことはありませんでしたが――――その原子爆弾が使われたのかもしれない、とも思ったそうです。

それから、長岡さんは何をやったかというと、石集めに奔走するのです。

その時の様子を表すところを読ませて頂きます。

「彼の目には、それらの石が「血を流し」ているように映った。石にくっきりとついた熱線の跡、溶解の跡、割れた跡。それが被ばくした人々の無残な火傷や、血が流れる傷と重なって見えたのだ。」

 平和記念資料館には、悲惨な写真が沢山あります。それを見なくても石の表面の焼けただれた様子を知るだけでも、どれほど悲惨な状況であったかを想像することはできます。長岡さんは石を集め続けたのです。これは貴重な資料になる、そう思っていました。でも、周りの人の目は、正直、理解にあふれたものではありませんでした。気がふれたんだろう、と思われました。「広島は今後75年は草木も生えない」と言われていた。放射線がとどまっているのも、長岡さんは科学者として分っていました。だけど長岡さんは、
「少なくとも誰かが、人間の歴史のこのどん底を、良心のない人びとや、空想力の乏しい人びとの眼前に、警告としてよみがえらせなくてはならないんだ」
と、石を集め続けたのです。

世の中には、良心のない人がいます。空想力のない人がいます。そういう人たちが酷いことをした。
その眼前に、その悲惨さを突きつける。そのために自分は石を集めているんだ。

長岡さんは、広島のためだけではなく、世界の平和のためにやったのです。

いまも、数限りなく悲惨はあります。戦後70年以上がたち、いま本郷学園には、幼稚園から高校まで、教職員も含めて2,000人以上がいます。でも、この中で本当に戦争を実体験しているのは一人だけしかいません。理事長先生だけです。

平和を後世に残すのは誰の役割なのか。それに思いを馳せつつ、広島に行ってほしい。こういう人が居たんだと、知ったうえで広島に行くと、ずいぶん見方が変わるんじゃないかと思います。

修学旅行前なので、図書館には広島に関する本が沢山並べられています。よければ手に取って、見てほしいと思います。また、まだ高校1年生は来年までたっぷり時間がありますから、どんどん本を読んで、少しでもいいから知識を蓄えてほしいと思います。

長くなりましたが、広島の話をさせてもらいました。今日のお話は以上です。

※引用書籍『広島を復興させた人びと 原爆』(石井光太著・集英社)


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