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今月の一言

2023年6月のひとこと

『「原っぱ」という社会がほしい』(橋本治著 河出新書 2021年1月)という著書の序文で、内田樹氏は橋本治氏について次のように述べています。

 「原っぱ」というのは、杉並の橋本さんのうちの近くにあった現実の原っぱのことだけではなく、それからあと橋本さんが踏破したすべての場所、橋本さんが試みたすべての仕事のことを指しているような気がします。とりあえず僕は「ものを書くというのは原っぱで遊ぶことと一緒だよ」ということを橋本さんから教わったように思います。

原っぱについて橋本さんは、こんなふうに説明しています。

 「ある意味で、誰のものでもない土地なのね。誰のものでもない土地で空いているだけだから、使い途が何もない土地は、大人にとってみればなんの意味もない土地なのね。ところが子供にしてみれば、草の海があるようなもので、そこに来て遊ぶっていうことするのね。」(本書、一四九頁)

 たしかに橋本さんがその生涯をかけてしてきたのは、「誰のものでもない土地で空いているだけ」の場所を、そこから無尽蔵の喜びを引き出すことのできる「草の海」に見立てることだったと思います。 〈中略〉

 そして「原っぱ」についてもう一つとてもたいせつなことは、橋本さんがそこではいつも「年下の子たち」を気づかっていたことです。

 「みんななんかやってて、その下にいるのが何なのかっていうと、やっぱりまだ独り立ち出来ない子で、僕達が鍛え上げて次に譲っていかなくちゃいけないんで、「僕達が“卒業”しちゃったらもう原っぱにいなくなるんだから、この子達がちゃんと遊べるようにしなくちゃいけないんだよな」って、そういう風に思いながらやってたのね。」(一六二頁)

橋本氏が言及している「原っぱ」は、まさに「子ども達の成長にとっては理想の場所」であり、これを私なりに言い換えれば「そこにいれば子ども達が勝手に育つ場所」ということになりますが、「原っぱ」が少なくなりつつある現代においては、「学校」という場所がその役割の多くを担わなければならないのではないかと思います。

本郷という空間がそんな場所になっているのか、ということについては今後も常に自問自答する必要があると思いますが、上記のような「この子達がちゃんと遊べるようにしなくちゃいけないんだよな」という感覚を持って後輩達と接している生徒(先輩)達が本郷にはたくさんおりますので、その点に関しては、本郷が生徒達にとって素晴らしい空間になっている、と自信をもって言うことができると私自身は感じています。