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今月の一言

2024年6月のひとこと

読書は自分の生活の中で、欠くことができないものという強い思いを私は持っています。本との出会いに恵まれたと考える私は、現在の多くの中学生・高校生があまり本を読まなくなっているという状態を寂しく思っています。私事となって恐縮ですが、ある本との出会いが、自分の生活に彩りを与えてくれる第一歩となったので、読書についての思い出話を綴ってみたいと思います。(本校の中学生対象の『朝読書リレー』の「巻頭言」と重複する内容です。)

私が中学校2年生の春、当時通っていた、隣町の小さな補習塾に、新しくアルバイトの講師として着任した大学生が、自分の持っている文庫本を何冊も塾に運んできて、貸し出してくれました。「この小説、面白いから読んでみろよ」という言葉を受けて、私は井上靖の『あすなろ物語』という小説をその題名に惹かれて借りました。読書など全く好きではなく、読書感想文を書くのも大の苦手でしたが、不思議なことに、この小説の中で描かれている人生の希望や悲哀に心打たれました。難しい表現などにつまずきながらも、一冊の文庫本を初めて読み通すことができたことが妙に嬉しかったという記憶があります。そして、この小説の中で何回か出てくる「克己」という言葉が妙に頭に残りました。

この後も、いくつかの小説との忘れられない出会いと読書の輪の広がりを促すいくつかの契機があり、小説を読むことが好きになりました。今振り返ると、当時抱いていた欠落感や息苦しさを少しでも忘れるために、小説の世界に逃避していたというのが正しいと思いますし、内容は理解できていなかったと思いますが、小説を読むということが日々の生活の中で大きな意味を持つようになりました。

高校に進学して、漠然と将来は大学の文学部で勉強をしたいと思い始めた頃、たまたま宮本輝の「青春の始まりの日」(『二十歳の火影』所収)というエッセイを読みました。宮本輝は『あすなろ物語』を読んだのが、自己の読書経験の重要な第一歩だったと語っていて、この芥川賞作家に勝手な親近感を持ちました。宮本輝は『あすなろ物語』を押し入れの中で読んだ日を「青春の始まりの日」と呼んでいますが、私にとってもその後の読書歴と人生の歩みの第一歩となる、忘れられない小説となりました。

ちなみに『あすなろ物語』の3つ目のエピソードである「漲ろう水の面より」の中に、「駒込の本郷中学の裏手」という記述があります。この記述は、井上靖が若き日(戦前)に「駒込のしろうと家の二階」(「青春放浪」)に下宿していて、駒込になじみがあったことと関係があると思われます。自分が現在、この本郷中学校・高等学校に勤務しているということと、13歳のときに出会った小説との不思議な縁を感じます。

当時通っていた補習塾のアルバイト講師の大学生(その先生は、大学卒業後、郷里の公立中学校に国語科の教員として赴任されました)の気遣いと一言が契機となり、私は小説の魅力というものを知るようになりました。そして、小説などの文学、読書という営為そのものが私の生活に彩りを与えてくれているという動かしがたい事実を認識するにつけ、中学生のときの出来事をなつかしく思い出すとともに、一冊の本との出会い、読書の輪の広がりの重要性を痛感します。

本郷中学校・高等学校では、朝のホームルーム前に「朝読書」という10分の読書タイムがあります。この10分間は、一日の授業の前に「読書」を通して自己と向きあう貴重な時間です。生徒諸君には、この10分という時間の積み重ねが持つ重みを心に刻んでほしいと思います。そして、本郷中学校では、自分が読んで良かったと思う本を紹介する「朝読書リレー」という良き伝統もあります。「朝読書リレー」に書いた自分のコメントが、他の本郷生の読書の輪を広げ、その人の生活に豊かな彩りを与える可能性があります。そして、他の本郷生の「朝読書リレー」のコメントが、自分の生活に豊かな彩りを与えてくれる可能性もあります。このことを銘記して、自分が選んだこの一冊についてのコメントを丁寧に書いて欲しいと思います。また、他の本郷生が心を込めて書いたコメントをしっかり読んで、自分にとっての良き本を一冊でも多く見出して欲しいと思います。