今月の一言
2025年8月のひとこと
夏休みに、本校の多くの生徒たちが、レポート、感想文など、文章を書く課題に取り組んでいます。例を挙げれば、本校の中学3年生は「中学卒業論文」の第一原稿を執筆していますし、高校3年生は大学受験のために記述答案作成の練習に取り組んでいます。小論文や論述試験の対策をしている生徒もいます。
夏休みという、通常とは異なる時間の流れの中で、じっくりと「文章を書く」という営為と向き合ってほしいと思いますが、私は改めて「文章を書くということは非常に難しい」という思いにとらわれます。
自分の考えや思いをすらすらと文章にできる人は少ないでしょう。書き出しでつまずいて自己嫌悪に陥る人や自分の思いや考えがうまく表現できないもどかしさに苛立つ人も多いと思います。現在では生成AIが簡単に文章を作ってくれるので、生成AIに助けを求めたくなる人もいるでしょう。確かに生成AIは、文章作成の苦しみから私たちを解放し、時間と労力の削減に大きな力を発揮しているように見えます。しかし、書き出しの苦しみや、うまく書き進めることができないことに対するもどかしさは、自分の思考というものに正面から向きあうことを私たちに強いるという点で、貴重な経験を私たちにもたらしてくれるものだと思います。生成AIに依存することなく、自分の力で文章を紡ぐ練習を繰り返すことは、自己の思考力と表現力を鍛えることに繋がっていくと私は考えています。
さらに自己の紡いだ文章を推敲することは、自分が必死の思いで紡ぎ出したものの欠点を認識しなければならないので、かなりきつい作業となります。しかし、きつい作業であるがゆえに、自己の内なる批評者を育てることに繋がります。文章を書く際に、私たちは論じる対象や自分の思考に前のめりになっています。前のめりになるということは「文章を書く」、「論じる」という営為には不可欠なものですが、一方で何かを見ていないことなのだという認識を持つ必要があると私は考えています。自分が書いた文章を客観的に見つめるということは不可能ですが、自分が書いた文章を客観的に見ていこうとする意志を持ち続け、自分の思考を振り返り、文章をより良いものしていこうとする努力もまた、自己の思考力と表現力を鍛えるには必要だと思うのです。
夏休みの課題であるレポート、感想文、「中学卒業論文」、記述答案作成の練習など、「書く」という課題に取り組むことは、自己の思考力や表現力を鍛える契機になるのだということを認識して、粘り強く取り組んでもらいたいと思います。