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新校舎建設お知らせ

2号館建設状況 Part2

先日、NPOとしま遺跡調査会によって発掘調査がおこなわれました。
本郷学園の建つ染井の地は「植木職人の町」と呼ばれ、江戸時代は園芸業が盛んなところでした。
染井通りの南側、つまり本郷学園の校地は植木職人の町から一転して大名屋敷だったといわれています。

〈2号館予定地の遺跡調査の成果〉
遺構としては、柱穴列(ちゅうけつれつ)や地下室(ちかむろ)、空堀等が見つかりました。
遺物では、屋敷の瓦や陶磁器(瀬戸・美濃の茶碗や徳利、擂り鉢など)等が出土しました。

〈特記〉
 発掘を行ったとしま遺跡調査会の方によると、空堀が幅5mを超える大きなもので、南北に延びており、周辺の遺跡ですでに発見されている同屋敷内の空堀との関連が注目されるとのことでした。
本郷学園は、屋敷地のほぼ中央に位置していることから、屋敷の中核である御殿空間(藩主の妻子が居住)に該当しているか、もしくは至近な場所と考えられていますので、今回の空堀は御殿と他の空間(家臣の住居である長屋空間など)を画するためのものか、または屋敷内の軍事的な意味を持つ施設なのかもしれません。これらは、今後の遺構の調査や遺物の分析をふまえた研究によって明らかになってくると思われます。なお、この堀は従来の堀よりも大規模である上に、これらの堀自体が、都内で調査されている多くの江戸時代の大名屋敷跡の発掘事例の中でも珍しいという近世考古学界の評価もありますので、今回の調査は、藤堂家の屋敷の姿がわかる、というだけでなく、江戸時代の大名屋敷の様子を考える際の重要な手がかりになっているといえます。

大きな空堀

たくさんの瓦

陶磁器

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