本郷について

本郷について

本校の建学の精神・教育目標

建学の精神

個性を尊重した教育を通して国家有為の人材を育成する

教育目標

強健 / 心身両全にして、困難に耐えうる。
厳正 / 志操堅固にして、自らに厳しく中正な判断をなしうる。
勤勉 / 責任を重んじ、誠心誠意つねに自己の務めに精励する。

創立者 松平賴壽 (まつだいら よりなが)

旧高松藩松平家第十二代当主。伯爵、後に貴族院議長に就任。

教育方針

  • 「文武両道」

  • 「自学自習」

  • 「生活習慣の確立」

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沿革・校名の由来

沿革

1923(大正12)

2月21日 本郷中学校設置認可される

4月1日 本郷中学校開校。初代校長松平頼壽伯爵就任

1925(大正14)

4月 中等学校に正課として軍事教練導入

1928(昭和3)

2月20日 教練用狭窄射撃場完成

1929(昭和4)

5月5日 校歌(坪内逍遥作詞・信時潔作曲)を第7回創立記念日の式で公式に斉唱

1936(昭和11)

11月7日 永井体育館(永井先生の教え子より寄贈)落成

1937(昭和12)

6月19日 松平頼壽校長、貴族院議長に勅任

1944(昭和19)

9月13日 松平頼壽校長逝去、正二位に叙せられ旭日大綬章を受章。徳川宗敬理事、第2代校長就任。

9月20日 松平賴明理事、が理事長に就任

1945(昭和20)

4月13日 母校一帯空襲を受け、永井体育館一棟を残して本校舎ならびに付属建物全てが焼失する

1947(昭和22)

2月20日 学制改革により本郷高等学校と改称

1949(昭和24)

6月3日 内山靜一氏、第3代校長に就任

1950(昭和25)

8月 戦後初の臨海学校、千葉県御宿海岸で実施

10月 昭和天皇より故松平頼壽校長に下賜された白絹で校旗を作成

1951(昭和26)

9月8日 徳川宗敬名誉校長、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約に全権委員の一人として調印に参加

1954(昭和29)

9月2日 もみじ幼稚園開園

1958(昭和33)

1月20日 新制本郷中学の生徒募集を停止

6月3日 内山靜一校長病逝、松平賴明理事長が第4代校長に就任

1959(昭和34)

1月20日 本郷高等学校に工業課程機械科を併設

1966(昭和41)

4月1日 工業課程デザイン科併設

1968(昭和63)

4月8日 クラブ活動全入制実施

1975(昭和50)

11月 サッカー部全国大会初出場

1981(昭和56)

10月21日 初の海外修学旅行(韓国訪問)実施

11月 60周年記念庭園完成。もみじ幼稚園、新園舎完成

1985(昭和60)

4月 理数科を新設

1986(昭和61)

1月 ラグビー部第65回全国大会準優勝

 

1988(昭和63)

4月 本郷中学校再開

1989(平成元)

5月 徳川宗敬名誉校長逝去

1990(平成2)

2月23日 松平賴明理事長・校長逝去

2月24日 第3代理事長松平賴武先生就任

4月 第5代校長新井勲夫先生就任

1992(平成4)

4月 機械科を電子機械科に名称変更

1995(平成7)

4月 第6代校長松平賴武先生就任

1996(平成8)

4月 電子機械科・デザイン科募集停止

2000(平成12)

8月 北島康介(高3)シドニーオリンピック100m平泳ぎ4位入賞(日本記録)

 

2002(平成14)

4月 第7代校長 高橋雄先生就任
理数科募集停止
高校特進コース新設

2003(平成15)

4月 本郷数学基礎学力検定試験(本数検)実施

2004(平成16)

8月 第1回カナダ海外研修実施

2008(平成20)

4月 第8代校長北原福二先生就任

9月 人工芝グラウンド完成

2010(平成22)

4月 副校長に宮沢正喜先生就任
本郷英単語力検定試験(本単検)実施

2016(平成28)

4月 第9代校長佐久間昭浩先生就任

2018(平成30)

12月 全国高校ラグビー選手権大会出場

2019(令和元)

4月 第4代理事長松平賴昌先生就任

12月 全国高校ラグビー選手権大会2年連続出場

2020(令和2)

2月 最後の高校入学試験(2020年度より高校課程からの入学生募集停止)

3〜6月 新型コロナウィルス感染拡大による臨時休校
新型コロナウィルス防止のため体育祭・本郷祭・合唱コンクール中止

2022(令和4)

10月 学園創立100周年

校名の由来

本校の住所は、「豊島区駒込」で、最寄り駅も「巣鴨駅」と「駒込駅」です。では、どうして校名は「本郷」なのでしょうか?

今から約95年前、日本は義務教育が普及して、中学校の数が足りなくなっていました。
そこで当時、東京都本郷区(現在の文京区の一部)の教育会長であった松平賴壽伯爵が中心となり、本郷区内に新しい「本郷中学校」の開設が計画されたのです。
ところが、本郷区内では良い場所が見つからず、当時松平賴壽伯爵のお母様が住んでいた染井邸の一部に(現在の学校の場所)校舎を建設することになりました。

場所は、本郷区ではないのですが、開校のために本郷区民から多くの寄付があったことや、「本郷区内に新しい学校を」という人々の強い思いを今に伝えるため、「本郷」という名を残し、「本郷中学校」が開校されたのです。

当時の本郷中学校

校歌

校歌の再生

校歌を聴くには、mp3形式のファイルが再生できるプレーヤーが、お使いのパソコンにインストールされている必要があります。

本校の校歌は、日本に西洋の近代小説観を広めた作家、坪内逍遥(つぼうち・しょうよう : 1859~1935)によって作詞され、また明治、大正、昭和の時代に多大なる影響を与えた作曲家、信時潔(のぶとき・きよし : 1887~1965)によって作曲されています。