阿出川信夫 先生

阿出川信夫 先生

経歴

本郷中学校・高等学校 元教諭(1965年~2008年)
元・サッカー部顧問

在校・在任当時の思い出

旭ヶ丘中学校の部活動ではサッカー部に所属していたが、当時の本郷高校で全国大会を狙える強豪の部活である体操部に入部した。同じ中学の仲間からは「サッカー部に入れ」と強く誘われたが決心は強く体操部に情熱を注ぎこんだ。

そのかいあって体操部での大会は東京都2位で通過し、関東大会では優勝。ただ、全国大会出場を目指して頑張ってきたが、全国インターハイは東京の優勝チームしか出場できず、関東大会を優勝したのに本郷高校体操部が出場できず、大変悔しい思いをした。東京を優勝した桐朋高校は全国3位となったため、我々が出場していればもっと上位に行けたはずである。

わたしの在校時の思い出は学生時代だけではなく、22歳で戻ってきた教員としての思い出の方が強い。高校で体操部であったが、やはり大学ではサッカー部に戻り、日本大学サッカー部に4年間所属し、卒業と同時に本郷高校体育教師として就職した。

体操部ではかなわなかった全国大会出場を決めた昭和45年の全国インターハイ初出場。また、高校サッカーで一番の大きな大会である全国高校サッカー選手権大会には昭和48年に初出場。さらにその全国高校サッカー選手権大会で昭和53年の全国第3位。輝かしい成績を残せたことが何よりの思い出である。

また、当時は個性的な教員がたくさんおり、怒号の飛び交うケンカのような会議や、ボーナスを一晩で使い切ってしまうような豪快な人など今では考えられない人がたくさんいた。また教員としても時間的な余裕があり、生徒と接する時間もたくさんあった。個性的な教員と同じくらい、個性的な生徒もたくさんおり、毎日、事件・事件の連続で充実した日々を送ることができた。

現役生へのメッセージ

本郷中学校・高等学校も進学校になり、教員も授業準備や生徒指導で大変であろうと思うが、教員に心のゆとりがなければ生徒の心は育たない。学校が終わったら仲間と飲みに出かけてコミュニケーションをとって教育論を熱く語ってほしい。

また、生徒たちも勉強、勉強で忙しい毎日を送っていることと思う。勉強はもちろん大事だが、勉強は何歳になってもできる。今しかできないことを本郷で情熱をもって注ぎ込んでほしい。部活は人生でごく一瞬しかできない。熱い青春を過ごしてほしい。

そして社会で活躍する人はみな個性的な人ばかりである。型にはまった勉強ばかりしていては個性は育たない。自分の個性を磨ける環境を作って、その個性を本郷在学時に思い切って伸ばして社会で活躍するようになってほしい。

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